野崎先生の「不完全性定理―数学的体系のあゆみ」によると、自然数論を含む述語論理体系Zは【わからず書くとはおれカネゴン】、次のどちらかにしかなりえないのだそうだ。

  • 無矛盾だが、不完全 -- Aと呼ぶ
  • 完全だが、矛盾がある -- Bと呼ぶ

数学においてはBは無意味なものにしかならないそうなのだけど、カネゴンアイにはむしろ、Aの方が断然無力で勢いがなく、Bこそ力強くて発展性があるような気がして仕方がない【あきれた子とはおれカネゴン】。
聖書やコーランに限らず、経典には何らかの矛盾がどうしても見つかってしまうものだけど、今のカネゴンからすると、矛盾が見つかるなどということはまったく傷に感じない。むしろ矛盾があることと引き換えに、その経典において完全性が得られるのではないかとついざっくり考えてしまう。もし経典に何の矛盾もなければそれは不完全にしかならず、そちらの方がよほど致命的だと思う。
逆に、矛盾こそ完全性の証として胸を張ってしまったりして。