きわめてうすらぼんやりとしか覚えていないのだけど、昔覚えた「即身成仏になる方法」【レシピと捉えるおれカネゴン

  • 断食を何度となく行い、身体から余分な脂肪をそぎ落とす
  • コメ/ムギ/アワ/ヒエなどの5つの穀物を食べない「五穀断ち」
  • その他にも5つの食物を断つ「十穀断ち」
  • 断食しながら山を巡り歩く「餓鬼行」など、さまざまな厳しい修行を経る
  • しまいには、松の木の皮を餅のように加工し、それだけを食べる
  • そしてついに「土中入定」。行者は地下4メートルの穴の底に座し、上から土をかける。節を抜いた竹筒を地面に指し、呼吸を保つ。行者は鈴を静かに鳴らしながら経を唱え続ける。やがて鈴の音が聞こえなくなると行者の死が地上で知られる。数年後掘り返し、ミイラとなった行者に絢爛豪華な袈裟を着せて陳列する。

ここで重要なのは、ミイラとなって果てることが修行の目的なのではなく、それによって世の人を救うことが目的であることだったりする【わしらを祭らぬおれカネゴン】。「何かを犠牲にすることと引き換えに願いを叶えてもらう」という行為を、広く世に見られる「非合理的な信念」と片付けてしまうのはたやすいのだけど、カネゴンにはそれが無駄であったとは到底思えない。なぜなら、その行者の行為とミイラを見て衝撃を受けた多くの人が、必ずや世をよくする方向に行動を起こすだろうから。それすら確実に期待できることではなかったのかもしれないのだけど、世の人を救うために進んで自分の肉体を差し出すというのはいかなる心境だったのだろう【どこかへすっ飛ぶおれカネゴン】。