漫画家の渡辺和博が亡くなったことを家人経由で知る。
以前も書いたとおり、この人の似顔絵と文章のうまさは超一級であったにもかかわらず、「ヘタウマ」という先入観のせいでどうやら誰もそう思わなかった【先入観ならおれカネゴン】。
カネゴンはこの人を「熊猫人民公社」という単行本で最初に知ったのだけど、カネゴンが中学の頃から立ち読みしていた(が決して買わなかった)「ガロ」の自己満足風漫画とはまるで違っていて、まずそのことに驚いてしまった。
本人は真顔のまま決して相好を崩さないのに、相手を爆笑させたり、一転して心胆寒からしめたりと読者を完全に手玉に取る。ものすごい文章テクニックなのに、フュージョン臭くも文学臭くもならない(業界臭くはある)。時事ネタ・業界ネタが極めて多いにもかかわらず妙に普遍性が高い。まったく天然ではなく、明らかに作為の産物なのだけど、その作為のバリエーションがものすごく多い。
どうにもうまく説明できないのだけど、たぶんどんなに練習してもこの人のような文章は書けるようにはならないことは確実。カネゴン金魂巻」は数ページ立ち読みしただけですが【オール立ち読みおれカネゴン】。
渡辺和博はある意味エイドリアン・ブリューのように、あまりにもあっさり天才として突き抜けているにもかかわらず、悲壮感がどこにも漂わないのでありがたみがない、ちょうどそんな感じ。