すごくつまらない言い方をすると、芸術の本質は「説得」ただそれだけで、それ以外の要素は何にもなくてもいいことになる【何か言うとるおれカネゴン】。説得力があれば、それが科学であってもアダルトビデオであっても老いたヤクザの後姿であっても皆芸術ということにしてしまったらまずいだろうか。
どさくさに紛れて書いてしまったけれど、科学の本質も説得にあり、論理も統計も実験もこの説得を支援し強化するためにあるようなものだったりする。だからこそ、論理も統計も実験もすっとばして説得力だけで持たそうとする疑似科学の出現を阻止することは本質的に困難だったりする。
そして芸術を所有し鑑賞する人は、どれほどの地位と教養と体力と運動神経とイケてる顔と高い身長と失うものがあっても、その瞬間は一人残らず「説得されたい服従したい」心からの奴隷であり、その芸術を作り出した人は、他の実用的な分野では負け負けのポンコツのルーザーの独りよがりの社会不適応の変態のダメ人間であっても、その瞬間のみ説得し支配する側に回れることになる。つまり負けた人間が逆転を図れる可能性が唯一わずかに高いのが芸術であり、だからこそ芸術に群がる人が多いのだとしたらどうしよう【群がっとったおれカネゴン】。
痛快なのは、どんな本を読んでもこの説得力を得ることはできないということ。世界最古のプレゼン技法のハウツー本である風姿花伝にならある程度書いてありそうだけど、読んで説得力を得られる保証書は見当たらなかった【本気で探すおれカネゴン】。