まとまっていないけど書く。
「宗教が悪い」というのは今や小学生でも楽勝で言えるくらい軽いセリフになってしまったのだけど、カネゴンアイで見る限り、悪いのは宗教というより「思想」だとしか思えない【チクワの目を持つおれカネゴン】。宗教は思想の一部でもあるので間違えやすいのだけど、思想からはみ出している部分も確実にあるので簡単に同一視するわけにはいかないような気がする【そんじょそこらのおれカネゴン】。
思想はどんな大量破壊兵器より効率的に大殺戮を行えるし、科学者が重大なアイディアをうかうかと見逃すときはまず間違いなくそのとき抱いていた思想によって目が曇らされるのが原因だったりするし、不幸の原因の大半は思想を握り締めて離さないことにあるし、誰もが自分の思想に合わせてすべてのつじつまをアドホックに合わせようとするために短期的にはつじつまがあっても長期的にはしょっちゅう破綻するし、よほど面倒なのかめったなことでは思想を変更しようともしない【ほいほい着替えるおれカネゴン】。
たぶん思想の重大な欠点は「自分で自分を書き換えられるように思想を構築することが非常に困難」ことで、思想を強化するための情報ならいくらでも積極的に吸い寄せるけれど、自分の思想に反するものと出会ったときに思想の書き換えが面倒なあまりつい相手をつぶしにかかったりする。実際、自分の思想を変えるより自分の思想を守るために相手を滅ぼす方が断然楽だったりするので、この誘惑に逆らうのはかなり難しいのかもしれない。
そういえばジークンドーは特定の型や流儀がなく、他所の格闘技のどこそこが良いと思ったら即それをちゃっかり取り入れるだけという、Schemeにも似たシンプルなルールしかない。ここまでくると思想とは言えず、もしかするとメタ思想なのかもしれないけど実は単なる方法論だったりする。方法論の方が思想より断然有益で柔軟性に富んでいるような気がするのはカネゴンもう寝る前だからでしょうか【寝てても書けるおれカネゴン】。とはいうもののジークンドーといえども年月と共にさまざまなノウハウや知識が降り積もって蓄積されると、そこに何か一貫する思想を付け加えたいという誘惑が必ず生じるので、それを振り払うのは大変かもしれない【積んでは崩すおれカネゴン】。