Wikipedia「社会技能」

ところで、心理学上で社会的技能が言及される際には、「性格(自然習得するもの)」というよりも「技術(学習によって身に付くもの)」として捉えられている点に注意を要する。社会的技能に関する知識を技術論として捉えなければ、ソーシャルスキルレーニングといった形で応用することが原理的に不可能になってしまうためである。特に社会心理学では、社会技能を性格として捉えることが「効力予期を減少させる(=努力しても無駄と思わせてしまう)」ため、禁忌とされている。

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繭(十代)の頃のカネゴンの耳をとっ捕まえて大声で聞かせてやりたいほどの、大変重要な知恵【棒に振るとはおれカネゴン】。何でも性格のせいにしてしまうのは、明らかにそれ以前の素朴かつ軽率な性格即断心理学(占星術血液型性格判断含む)の副作用なのだけど。いずれにしろ近代の産物なので、お釈迦様ではもう面倒見切れないというか何と言うか。

但し、(2)は「相手の表情から感情を読み取れない」や「自己を他者と思い込む」といった認知上の根本的な不具合を意味しており、「人の気持ちを察するのが苦手」や「常に自己中心的な発言を繰り返す」といった程度であれば、それは社会的技能が未発達なだけである

性格のせいにすることの味をしめてしまったらそれはたちまち頑迷な思想と化し、上記のような諫言を二度と受け付けなくなるのはもう確実【最も頑迷おれカネゴン】。性格判断そのものに潜むこの重大な副作用を解決するために、たぶん今後の人類は数百年、下手すれば数千年かけて、民間信仰とごっちゃになって一般社会に染み渡ってしまったあらゆる性格判断を大変な苦労をして追放して回らなければならなくなるとカネゴン予言【そういう性格おれカネゴン】。