鈴木先生」を読み返しているうちに、絵どころかストーリーすらこの漫画の中心要素ではないような気がしてきた。
カネゴンは昔から、あらすじにしても面白さが変わらないほどのわかりやすいストーリーがあるものが好きだったのだけど【単純極まるおれカネゴン】、本書はもうそういう組み立てられ方をしていないというか、編集者やら原作者やらプロデューサーやらが集団製作週刊連載するタイプの漫画とも同人内輪乗り漫画とも青春実験ガロ永島慎二的漫画とも違う。
よく考えたら凄いことなのだけど、どの登場人物も本当にいそうなリアルな人たちで、安心できるパターンに則った類型的な人物描写がまったくない。当初は類型に見える人物も、そう思わせておいてまったく違う方向に動き出すことからして、「これこれこういう性格でこの通りにしか行動しない」キャラクター設定表に基づいて無難に大量生産された人物像でないことは確実。カネゴンは自分が最早旧世代であることをこの本で納得できました【棺桶こさえるおれカネゴン】。
はるか昔、高校の国語の教科書で断片を読んだだけなのだけど、もしかすると夏目漱石の「こころ」ってこういう感じの話なのだろうか【思い込んだらおれカネゴン】。