おみくじは「吉」でした【小躍りするとはおれカネゴン】。
ところで、おみくじで「今年は何の努力もせずに怠けていてよい」とか「尻尾を股の間に挟んで田舎に帰れ」という御託宣が出ることは決してない。というのも、おみくじは「当たる/当たらない」を詮議することには何の意味もなく、それを読んだ人に「あ、そういえば今年はあれもしなきゃ/これもしなきゃ」「やっぱりこの点を改めないとだめか」などと思い出させるような影響を与えたり参拝者の背中を押したり引っ張ったりすることこそ主要な機能だったりするので。
星占いや四柱推命などの占いも本来そういう側面がなければほとんど意味がないはずなのだけど、特に昨今の星占いは慰めと癒しと耳ざわりのいい話に終始していて、遠慮なく「大凶」を出して参拝者の精神をびしびしと引き締めるおみくじのような機能がどんどん失われていたりするような気がしないでもない。
おみくじと極めて似たものに例のオブリーク・ストラテジーズというものがあるのだけど、これこそまさに、意表を衝くキーワードを外部から与えることによって、煮詰まりを突破することが目的だったりする。オブリーク・ストラテジーズに大凶を追加することでこの機能はすぐにでも完成するのでどなたか勇者にお願いしたい。
自分の力だけで何でもできると思っている単に頭の良い人は、学校で習った通りに論理に沿って考えても論理に沿ったつまらない答えしか導き出せないまま煮詰まってしまうことがよくあったりする。論理は、論理に沿って推論した結果異常な(しかし動かし難い)結論に到達してこそ面白いし意義もあるのだけれど、論理そのものは誰でも公平に利用できるにもかかわらず、論理に沿って面白い結論に(最初に)辿り着くには数十万人に一人という強烈なセンスが必要だったりする。論理の(平和)利用は、論理的であれと宣伝する人々の言うこととは逆に、実はほとんど一般には手が届かないものだったりする。それなら一般人としてはとっととおみくじを引いてその御託宣に従う方がスムーズに煮詰まりを脱出できる可能性が遥かに高いような気がする。
というようなことを夜更けにそっとリチャード・ドーキンスの耳元に囁いてみたら彼もついふらふらと靖国神社とかに参拝しておみくじを引いてしまったりするだろうか【異教に引き込むおれカネゴン】。