ドーキンスが入れ込んでいる「ブライト運動」を改良するとしたらそこがポイントになるような気がする【反乱分子とおれカネゴン】。
人類4000年の経験から、いかなる教えも、たとえどれほど科学と合理性に基づいたものであろうと、その教えがひとたびドキュメント上に固定されてしまうとたちまちそれ自体が目的になってしまって何をしたかったのかさっぱり思い出せなくなってしまうことが明らかになりつつあるので、ただただ

  • 聡明な人をがんばって見つけ出し、その人から他の聡明な人を教えてもらう
  • 聡明でないことがわかったらきっぱり見捨てる

というたった二つの方法論だけに絞り込んで励めば、宗教も信条も性的趣味も病歴も過去の犯罪も問うことなしに聡明な人々が続々発見されてネットワーク状に編成され、いつしか人々が勝手に巨大な聡明ネットワークを構築してしまうような気がする。ネットワークなのでその内容は一瞬も固定されず、ピクピクと脈打ちながらダイナミックに再編成を繰り返す。
唯一の大きな課題は、最初にどうやって聡明な人を見つけ出すかなのだけど、こればかりは各自幾千回となくスカをつかんでは捨てを繰り返し血だるまになりながら見つけ出すしかない【スカで固めたおれカネゴン】。
これなら、聡明な人もそうでない人も恨みっこなしで総員参加できる。そしてこれがひとたび構築されれば、そうでない大多数の人々も安心して聡明ネットワークの下に奴隷としてぶら下がって安楽に暮らせるようになるのではないかと【渇望するとはおれカネゴン】。