久しぶりに『ブッダの真理のことば・感興のことば (岩波文庫)』を眺めていて、「聡明な人についていきなさい。だめな人についていってはならない」とまたしても時空を超えて叱られる。
これは、世の大半の人は人のうえに立って自分の頭で何かを計画して困難を解決しながら実行するには向いておらず【向いてないのがおれカネゴン】、そういう人はむしろ聡明な人を一刻も早く見つけ出して身も心も頭脳も彼らに捧げ、彼らの手足や部品や丸太やレンガや肥料となって役立つ方がよいということでいいだろうか【機械の体おれカネゴン】。
ブッダはおそらく、世の人々の誰もが聡明になれるわけではないことを嫌というほど思い知り、この世には少数の聡明な人と大多数のそうでない人がいるということを衆生には決してばらさないようにしながら、いかにして世の中をちょっとでも調和させるように仕向けるかを考えた結果なのではないかとカネゴン思うことにする【仏典汚すおれカネゴン】。
ブッダは「聡明な人にはいっぱい人が集まるからすぐわかる」とおっしゃってくれているのだけど、昨今はカリスマだのアーチストだの視聴率だのブックマークだのとノイズが紀元前とは比べ物にならないほど増大し、S/N比は果てしなく低下していて、聡明な人を見つけるには聡明な人に教えてもらう以外に確実な方法がないような気がしてしまう【靴ひも引っ張るおれカネゴン】。