ところで、この日記でも何度も書いたように、幸福には「いかなるもの・才能であっても、それを最初から持っていたらありがたみを感じられない」という困った性質がある。シッタルーダが家族をおっぽりだして家出したのも【出家と違うかおれカネゴン】、王家に生まれたことをどうしてもありがたいと思えず、さりとて普通の人がみなやっているように他人の不幸を観察して自らの幸せを確認する気にもなれなかったからではないかとカネゴン推測。
誰の言葉か忘れてしまったのだけど、「人間にとって最もうれしいことは、できなかったことができるようになることです」というのがあった【うれしくないとはおれカネゴン】。ちなみにそれに続いて「人間にとって最も簡単で安易なのは、他人を批判することです」ともあった。
社会共通資本をくまなく提供するシステムがひとたび完成されてしまうと、後に続くものにはそれを作る楽しみがなくなってしまい、幸福そのものに内在する呪いの発現を避けられないような気がしてしまう。システムは永遠に工事中というか発展途上である方が子々孫々の楽しみを奪わずに済むのだとしたらどうしよう【奪い奪われおれカネゴン】。心配しなくてもシステムが完成する前に石油がなくなってしまうとしたらどうしよう【心配するのがおれカネゴン】。