仮にエンジニアの視点から見れば、きっと光合成システムの設計には非常に無駄が多く、部品点数をもっと減らしてアーキテクチャをすっきりさせたい衝動にかられるのではないかと思う。
とはいうものの光合成も数億年もの間営業を続けているので、ピタゴラ装置のごとく手近な部品をいきあたりばったりで組み立てたような見苦しいつくりであっても、その無駄の多いつくりを保ったまま数億年の営みを経てそれなりに洗練され、このつくりからは想像しがたいぐらい効率も向上してきたと考えることもできそう。
ところで、無駄が多いということは少々システムに傷が入っても何とかやっていけるということでもあり、それによってシステムを動かしたままアップデートする(進化)ことも可能になる。
逆に一点の無駄も贅肉もない、カモシカの脚のように引き締まりまくったシステムだとほんのわずかな傷やささいな環境の変化でたちまちダウンするし、ちょっとした改良を加えようとするたびにシステムを一から再設計しなければならなくなったりする。
だったら最初から拡張性を盛り込んだ設計にすればよいとも言えるけど、拡張性を持たせるというのは「無駄を許容する」というのと同じことだったりする。
勝新の名言「無駄の中に宝がある」というのはそういうことだと考えてしまってよいだろうか【言うだけ無駄のおれカネゴン】。