明け方の漫画喫茶で山下和美不思議な少年」と田中圭一鬼堂龍太郎・その生き様」をあるだけ読む【五巻続刊おれカネゴン】。
色川武大がもし生きていれば、無駄なコマがただの一つもない、全ページこれ有効打撃のような本書を一読してたちまちのうちに青白き嫉妬の炎に身を焼くであろうことを確信【裏付けようにもおれカネゴン】。
それより何より、カネゴンは生まれてこのかたこれほど巨大な野望を目にしたことがない。
世の文学を極真空手界にたとえると、その頂点に君臨する館長こと大山倍達に相当するのが旧約聖書であるということはカネゴンの中でだけ確かなのだけど、世の文学のほとんどが館長からの免許皆伝と師範代として各地における道場の建設を無難に目指す中、本書は間違いなく館長である旧約聖書の命を狙い、自らがそれに取って代わろうとしている。
血なまぐさい場面が多いのも、旧約聖書という最大の強敵を相手に総力戦を仕掛けている以上避けては通れないだけで、そうした殺戮描写を本心では好んでいないこともありありと看て取れる。
そういうことなので、本書のどの話が何かの話に似ているとか似ていないなどと議論することにはまったく意味がなかったりする。この漫画は、むしろそういう話の土台またはベースクラスに自らがなってしまおうという途方もない野望に満ち満ちている。何から何まで実に男らしい本書は、世にあまたある小説を顔色なからしめるなどというレベルの生易しいものとはカネゴンには思えない。
絵が流麗で無駄なパンチを一度も繰り出さないので、もしかすると作者の存命中は誰一人その野望の巨大さに気付かずに地味に終わってしまうかもしれないのだけど、ガンダムが再放送で甦った例もあることであり、いきなりブームになってその後忘れ去られるよりも、長い目で見ればその方が世のため人のためだったりするのだろうか【ためにならないおれカネゴン】。