オルガスムスのウソ (文春文庫)」という本の冒頭で見かけた「盲目の時計職人」という言葉の意味がどうしてもわからず、たまらずググるとあのリチャード・ドーキンス本のタイトルだった。
ドーキンスはどうやら「目的を持たないのにものすごく精密なものを作り出す」進化というものを比喩で表そうとしているらしいのだけど、カネゴンの中では「盲目」と「目的を持たない」がどうしてもつながらないどころか、「盲目のハガキ職人」という全然関係ないことを思いついてしまう始末【いつでも迷走おれカネゴン】。
「盲目」ではなく「盲滅法」ならわかる。「盲滅法な時計職人」の方が賑々しくてカネゴンこっちの方がよいと思うのだけど、ドーキンスとしてはこういうのは許し難かったりするのだろうか【無礼で討たれるおれカネゴン】。
それとも本当は「白痴の時計職人」とか「自閉症の時計職人」としたかったのだけど、ちょっとしたことでキーキー騒ぐ世間の目を欺くためにしぶしぶ半端な比喩を選んだのだろうか。それなら無難なところで「ちょっとタリない時計職人」というのはどうだろう【激しく足りぬおれカネゴン】。
それともドーキンスを含む西欧の南蛮人たちは、数千年も続いた目的論(=あらゆるものには目的があるという考え方)にすっかり毒されてしまっていて、30年ほど生物学を研究したぐらいでは「目的を持たないのものが精密で壮麗な生命システムを構築する」という不気味な様を的確に比喩で表すことができず、生物機械論っぽいたとえから離れたくても離れることができなかったりするのだろうか。