大槻先生のブログを読んで何となく思ったこと【思うでないとはおれカネゴン】:
科学と対立するものはオカルトとか新興宗教とかニセ科学とか枚挙に暇がないのだけど【後者が故郷おれカネゴン】、前者が苦手とするものがあるとすれば、自分のちっぽけな人生に意味を与えてくれること、言い換えれば「(どんなしょうもない方法でも構わないから)その人の人生を特別扱いしてくれること」だったりする。
というのも、(発見者や発明者を除いては)何事であろうと何びとであろうと特別扱いしない/してはならないという方法論そのものが科学だったりするので、先祖の因縁や失業や痴話喧嘩やヤクザな身内や働かない旦那や働かない親や働かない子供や寝たきりの家族に苦しむ誰かを(何の努力も要求せずに)特別扱いして慰めてあげたり、思わずぐっとくるような優しい言葉をかけてやったりするというのはどうしても苦手にならざるを得ない【単に苦手のおれカネゴン】。
さらに、前者と後者の争いのレイヤはまったく違っていて、論争で勝った負けたとかやっていても実はどうしようもなく互いにすれ違ってしまっていたりする。
そういうわけで、科学がニセ科学やオカルトに本当の意味で勝利するためには、そうした連中などおよびもつかないぐらい人気と客とお金を集めまくり、それを元手に楽勝でグラビアアイドルやスチュワーデスや女子アナと結婚して彼らの頬を悔し涙で濡らす以外にないような気がするのだけど、また何か、まずいことを書いてしまっただろうか【カリスマバーゲンおれカネゴン】。