どうして日本では、お経を日本語に翻訳しないでいつまでたっても中国語表記された古代インドの言葉のまま、しかも漢字の読みだけ日本語で使用し続けているのだろうか【唱えもせぬとはおれカネゴン】。
中村元先生によれば、東南アジアの小乗仏教文化圏では、お経というかお釈迦様の言葉は日常語に訳されているのが普通なのだそうだ。英語でもmantraといえば「(わけのわからない)お題目」という意味があるそうなのだけど、少なくとも訳して使うぐらいのことはしそう。
少なくとも今のままでは、カネゴンの死後祭壇に祭られたときに何を唱えてもらっているのかさっぱりわからないまま黄泉の国に旅立たねばならないことになりそう。他の死人から「恥ずかしくて誰にも言えなかったのですが、実はさっぱり意味がわからんのです」などと苦情が出たりしないのだろうか【死人に口無しおれカネゴン】。