Amazonで「今は買わない」リストにあったはずなのに間違えて上巻だけ買ってしまった【お主はやはりおれカネゴン】「物理学はいかに創られたか(上) (岩波新書)」に書いてあったことを珍しくちゃんと引用:

(物理学の)真実を理解しようとするのは、あたかも閉じられた時計の内部の装置を知ろうとするのに似ています。時計の面や動く針がみえ、その音も聞こえてきますが、それを開く術(すべ)はないのです。だからもし才能のある人ならば、自分の観察する限りの事柄に矛盾しない構造を心に描くことは出来ましょう。しかし自分の想像が、観察を説明することの出来る唯一のものだとは思えません。自分の想像を、真の構造と比べることは出来ないし、そんな比較が出来るかどうか、またはその比較がどういう意味を持つかをさえ考えるわけにいかないのです。
けれども、その知識が進むにつれて、自分の想像が段々に簡単なものになり、次第に広い範囲の感覚的印象を説明し得るようになると信ずるに違いありません。
また知識には理想的な極限があり、これは人間の頭脳に寄って近づくことのできるのを信じてよいでしょう。この極限を客観的心理と呼んでもよいのです。

絶対開けられない機械装置をその動きだけから中身を推測することが物理学だったりするという理解でよいだろうか。この辺の事情は、21世紀になった今どころかこれから先もずっと変わらなさそう。
逆に言うと、開けて理解できるものというのは、すべて人間が作ったものに限られてしまうような気がする【ねじを余らすおれカネゴン】。