漫画喫茶で十数年ぶりに背中の四角い少年漫画雑誌と少女漫画雑誌を10分でザッピングして、唯一ぶっちぎりに面白かったのがさよなら絶望先生という漫画。以来ついつい単行本をちびちび買ってしまう。ちっとも知りませんでしたが、講談社漫画賞も受賞していたらしい。
とにかく、最初から最後までとことん人を食っている。単行本第一巻から「前回までのあらすじ」があり、そのあらすじがその後も毎回口からでまかせで、今やそれが楽しみになってしまっている。
第一回から(おそらく現在まで)、毎回の読み切りのフォーマットというか話の展開を完全にテンプレート化していて、そこから決してはみ出さないようにしているところも人を食っている。
さらに、意味もなく女の子のパンツを見せたりツンデレをやってみせたりしていながら、書いている本人はそういうことが心の底からどうでもよいと思っているために、そうした手垢の付いた手法の唐突な引用がそのままギャグになってしまっている。
ダジャレも一種の「逆ダジャレ」とも言うべき人類未曾有の新境地に達していて、言葉の打撃力の並々ならぬ力量を感じさせる。カネゴンが気に入っているのが、「新学期に新しい学校でなめられないようにするために不良ぶってみる」ことを「初期不良」と呼んでいたこと。
アカデミックなネタをもじったタイトルがよく使われているのだけど、それが何のもじりなのか読者の99%に気付いてもらえそうにないこと自体もギャグになっていたりする。
ギャグの姿勢は、とことん「自分が座っている木の枝を相手ごと切り落とす」どころか「自分が立つことのできる地面を残らず掘り起こして自分どころか誰も地面に立てないようにする」というカネゴンの心にすがすがしくフィットする手法に徹している。自分が座っている木の枝を決して切ろうとしないDilbertより断然面白いとカネゴン密かに思っています。本書を読む者は、一人残らず枝を切り落とされる覚悟で望んでほしい【注文するとはおれカネゴン】。
今のうちに、賞味期限切れが心配される時事ネタをこの漫画からすべて削除しておけば、平沢進どころか古代ギリシャ人でも腹を抱えて笑ってくれるほどの普遍性を獲得できるはず。次期ボイジャーゴールデンレコードに刻んで未知の宇宙生命に無理矢理読ませるにふさわしいのは、このトリミング済み絶望先生以外にカネゴン考えられない。
Wikipediaを参照せずに書いてしまうのだけど、この作者は割とカネゴンと年が近いような気がする【老いと共感おれカネゴン】。カネゴンが決して日記に書けない本音がこの漫画で手加減なしに描かれていて【言ったも同然おれカネゴン】、絶望先生があればカネゴンを外部仕様から完全にハックできると断言いたす。
ギャグめかしているにもかかわらず、この漫画を描いている作者は常に最初から最後まで本気であるところをカネゴンとっても愛してしまう。本気でさえあれば面白くなるかというと歴史が証明しているように全然そんなことはないので他の人が真似すると危険なだけなのだけど。
単行本巻末の「紙ブログ」も楽しみの一つなのだけど、ブログっぽい雰囲気を出すために非常に字が小さく、電車の中で読むのに苦労してしまうのが唯一の難点【一目で分かるおれカネゴン】。