上記と関係ありそうな、苫米地先生のブログエントリ

ところでこれら、イエス仏陀の論理が、無矛盾だからこその空しさもあります。それは、彼らの論理が、証明論理の系の中で無矛盾を維持しているということは、彼らの主張は、論理的には、我々になんの御利益(救い)ももたらさないからです。だからこそ、無限後退とならずに、無矛盾な主張を維持できるわけです。

http://www.tomabechi.jp/archives/50316486.html

もしかすると以前に書いた、無矛盾性と完全性とも関連があったりするかもしれない【関連しとらぬおれカネゴン】。