「子どものための論理学」みたいなものを義務教育で教えるわけにはいかないのだろうか【それがお似合いおれカネゴン】。
論理学は身につけるのに時間がかかるので、小学校低学年からこつこつと丁寧に教え続ける必要があるとカネゴン思っています【身を以て示すおれカネゴン】。理想の国語教科書の目次に「基本論理学」と書いたのはそういう意図だったりする。

論理を子どもに教えるうえで重要な点:

  • 論理の一貫性は、あくまで文章の中だけの話であり、その結論が現実と合うかどうかはまったく別の問題であることを理解させる。
  • 論理を一貫させるとは、「最初が正しく、途中が正しければ、結論も正しい」「最初が間違っていて、途中が正しければ、結論も間違いになる」という結果が出るように論理を整備するということであることを理解させる。

とにかくこのようにして、子どもたちに切れ味のビンビンに鋭い論理を一人残らず身につけさせることができれば、今のお笑いが一発で消し飛ぶほどのウルトラハイパーな「空高く積み上げられた論理へのひざかっくんによるお笑い」という新ジャンルが必ずや構築されて未来への重要な遺産となると共に、いい加減な言葉で子どもたちを丸め込もうとする大人どもを完膚無きまでに討ち滅ぼすことができる日が来るのではないかと【そんなリベンジおれカネゴン】。大人が子どもに論理学を教えようとしないとすれば、それを心の底から恐れているとしか思えないのだけど、もしかして書いたらまずかっただろうか【中年テリブルおれカネゴン】。
ついでながら、そうやって初めて、これまでおびただしく生産されてきた筋のむちゃくちゃな各種小説や漫画などを単なる娯楽として心から楽しめるようになるのではないかと。