山中俊二さんの「亀の井別荘のスーパーノーマル」。そこにないものを見いだす眼力が素晴らしい。

一言でいうとデザイナー泣かせの旅館です。いわゆる「良くデザインされている」と言えそうなところが見当たらないのです。調度品にも特別な感じはなく、庭の造りも一見無造作。にもかかわらず、空間自体に圧倒的な居心地の良さがある。これはなんか不思議だなと歩き回っているうちに、二つのことに気がつきました。

まず、不愉快な色がどこにもないのです。決してミニマルな空間ではなく、必要なものはなんでも揃っているのですが、調和を壊すような質感や色彩が丁寧に除かれている感じ。

もうひとつは、恐ろしいほどに掃除とメンテナンスが行き届いていること。廊下の明かり取りの桟にすら、ほこりが積もっていないのです。信じがたくて、嫁チェックする姑みたいに、指でいろいろな隅っこをなでてしまいました。

共通して言える事は、美意識などという尊大なものとは無縁の、ただ丁寧に「あく」を取り除く作業があらゆる所に行き届いていることでした。「スーパーノーマル」ってこういうことを言うのかも。

http://lleedd.com/blog/2010/03/09/kamenoi_besso/

言い換えれば、決定的要素や必殺アイテム、必殺技がどこにもないにもかかわらず、人の価値観に決定的な影響を及ぼしているということなのかもしれない。南蛮人が東洋っぽいものに触れて一番面食らうのがこういう構造かもしれない【南蛮呼ばわりおれカネゴン】。
全然似ていないのだけど、初期の美味しんぼで、お米の粒を一つ一つ徹底的に揃えてからご飯を炊くと信じられないぐらいおいしくなるという話をなぜか思い出してしまった。
たぶん西洋南蛮由来と思われる「これさえあれば」「ここさえ押さえれば」という、どちらかというと拙速な決定要素・必殺アイテム至上主義は、科学から宗教まで、おはようからおやすみまでカネゴンたちの日常を強力に染め上げてしまっているのだけど、今更変えるのはもう無理と思われるので、世代交代して今の世代が一人残らず死に絶えるのをじっと待つより他にないということでよいだろうか【わくわくするとはおれカネゴン】。