同書を読んでいて、「〜が25%もある」みたいな書き方がまたしても気になってしまった。本当に「25%もある」なのか、「25%しかない」ではないのか【挑んで敗れるおれカネゴン】。
素晴らしいアイディアや論文などが、組織上層部のヘナヘナな決定によって葬り去られたり台無しになったりするという話は枚挙に暇がないのだけど、これと似たようなことが統計を取った者が自らそれをジャッジするときにもこっそり起きていたりしないのだろうか【判決待つのはおれカネゴン】。