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今月の「Newton」の「」特集より:
相対性原理と光速度不変の原理を放棄することなく、つじつまを合わせるには、次の結論を受け入れなければならないことにアインシュタインは気づきました。
「発光器は、光(エネルギー)の放出と引換に、質量、すなわち『動かしにくさ』を失った。」
当時のアインシュタインによるこの着想が、色川武大とまったく同じ方法論に基づいていることにカネゴンぶったまげた【五体を投げるおれカネゴン】。
色川武大は、主に麻雀指導の本などで、しきりに「(余分な情報や知識をいったん捨てて)原則に立ち返る」ということを主張している。ここでいう原則とは、どんなに疑っても疑いきれない、科学者どころかどんな人間でも屈服せざるを得ない「自然律」を指している。さらに、自然律は、物理法則とほぼ同じものなのだけど、それよりもっと素朴で基本的なものを指しているらしい。具体的には、「作用には必ず反作用が伴なう」とか、「何かを得れば引き換えに別の何かを失う」「結果には必ず原因がある」、「人間はかならず死ぬ」「愛」だったりする。
ところでカネゴン的には「結果には必ず原因がある」については、確信はできるのだけど、原因と結果が線形になってない場合についてはなかなか科学になりにくそうではあったりする【線形ラブのおれカネゴン】。
それにしても、あまたの科学者たちが苦労して築き上げたものにひざかっくんを食らわせていったん突き崩し、原則のところまではるばる戻ってもう一度積み上げ直すいうのは、普通は評判を落とすのが怖くてできない。ときどき物好きが挑戦しようとしても、力量が決定的に不足しているうえに戻り方がどうしても中途半端になってしまう【ワンオブ物好きおれカネゴン】。そこをあえて自分の座っている木の枝を切り落とし、基本中の基本にまで戻って戻って戻りまくった偉業は、単なる勇気や知恵というだけでは形容できそうにない。
「原則に立ち返れ」と言うのは簡単なのだけど、あたりを見わたせばわかるように、ほとんどの人はできないでいる。いずれにしても、アインシュタインの世界遺産級の難産の苦しみをちょっとだけ疑似体験できたような気がした【痛いの怖いおれカネゴン】。