「土下座民主主義」の勝利

4月13日、遼寧省庄河市政府の玄関前広場で、村幹部の腐敗を直訴するために集まった庄河市龍王廟村の村民千人以上がいっせいに土下座して、孫明という名の市長との面会を求めた。1時間以上土下座していても市長は姿を現さなかったが、この場面が映像となってネットで流され大きな波紋を呼んだ。出てこなかった孫明市長の「怠慢」に対し全国から批判の声が上がったのである。
その2週間後の4月29日、上級政府の意向により、孫明市長はとうとう不本意な「辞任」を強いられ、村民たちが訴えた村の腐敗幹部も解任された。2人の共産党幹部の首が村民たちの土下座によって切られた格好だが、政権はなぜ、民衆の「土下座嘆願」をそれほど恐れているのだろうか。

 民が官に土下座して嘆願するのはもともと、近代以前の中国・専制政治下の古い慣習である。今の共産党政権は自分自身のことを「人民による人民の政権」だと標榜(ひょうぼう)しているから、「土下座嘆願」のような行為は当然、「封建の陋習(ろうしゅう)」として退けられた。

 しかし今、共産党幹部や政府に対して土下座して嘆願するような事件が現実に起きたことで、共産党政権は昔の「封建政権」とは何の変わりもない独裁政権であることを人々に印象づけ、「人民の政権」という共産党による自己正当化の神話がウソであることを天下にさらし出した。

 このような「悪影響」を打ち消すために、政権は庄河市の市長や村幹部の“首切り”に踏み切ったわけだが、それは他方では、「土下座嘆願」という古色蒼然(そうぜん)たる手段を使っての民衆の勝利を意味する。

 つまり龍王廟村の村民たちは、「人民による人民の政権」という共産党のウソを逆手にとって、自分たちの言い分を通すのに成功した。「
共産党政権にとって、このような形での「民主主義」の蔓延(まんえん)は実に厄介なものだ。暴動なら鎮圧することもできるが、「土下座嘆願」となると鎮圧すらできない。しかしもし、全国の民衆が何かある度にあちこちの政府機関の前で土下座するような事態ともなれば、政権は確実に持たない。

http://sankei.jp.msn.com/world/china/100603/chn1006030812000-n1.htm

歴史に残る偉大な発明が生まれた瞬間を目の当たりにしてしまった。この土下座という最強の武器に対抗する手段をカネゴンちょっと思いつかないというか、マザー・テレサでもこれを屈服させることは不可能かもしれない。【買収だったらおれカネゴン】。
唯一通じないことがあるとすれば、異星人から侵略されたときぐらいだろうか【マーズアタックおれカネゴン】。
実はカイジでおなじみの「Eカード」がヒントになっていたりして。