第四の次元は"時間"ではない?
ある事象と別の事象との期間を測定する手段として使われるのが、時間という概念だ。時間という概念は、直感的にも十分納得できるものであり、物理系を数学的に表すにも欠かせない。たとえば物体の速度は、ある時間内における位置の変動として表される。
しかしここにきて、ニュートン由来の時間の概念(四次元時空の四番目の次元であり、客観的に「流れる」絶対的な量)を否定する理論を唱える物理学者が出現した。ニュートン時間は、もっと正確な概念に置き換えられるべきだというのだ。時間は「事象の変化の順序を表す数値(numerical order of change)」であるとするのだ。
スロベニアのScientific Research Centre Bistraに所属するAmrit Sorli/Davide Fiscaletti/Dusan KlinarがPhysics Essaysに発表した2本の論文に詳細が述べられている(うち一つは発表寸前)。

時間は"第四の次元"ではない
私たちはつい無意識に、時間というものは絶対的な物理量であり、独立した変数であるということを前提にしている。物理系の変化を表すグラフのX軸には、たいてい時間tが使われている。しかし、時間tは本当の意味で測定されているのではない。
実際に測定できるのは、対象の周期や速度などだ。言い換えれば、実験的に確認できるのは対象の動きや時計の刻みであり、実験物理学者は物体の動きと時計の刻みを比較して周期や速度を割り出しているということだ。時間tは数学的な値のひとつでしかなく、物理的に実在しているものではない。

もちろん、時間を頭ごなしに否定しているのではない。時間は絶対的なものではなく、むしろ「空間の一部」として考えるほうがよいということだ。縦・横・高さの三次元に時間を加えたものを「四次元時空」と呼んでいるが、Sorliのチームは、時間を特別扱いしない、単なる四つの次元として時空を捉えるべきだというのだ。言い方を変えれば、この宇宙とは時間を超えた永遠の存在(timeless)でもある。
Sorliのチームは最新の論文で、ミンコフスキ空間は三次元+時間ではなく、単なる空間的な四次元だと主張している。「従来の時間という概念、つまり物理的にずしりと実在し、それに沿って対象が変化するという古臭い概念は、変化の順序を表す単なる数値(numerical order of change)という近代的で便利な概念に置き換わる。新しい概念の方が、物理的な世界によく対応しており、さまざまな物理現象をずっと強力に説明できる。重力や静電気力、果てはEPR実験における超光速情報転送にいたるまで、物理現象が起きている空間を直接伝わる、単なる物理現象であると説明できる。」
さらに、このアイディアは決して新しいものではない。実はアインシュタイン自身が既に同じ見解を示している。いわく「時間は、私たちが測定する物理現象の順序というものから離れて存在することはできない」と。SorliがPhysOrg.comに語ったところによると「結論から言うと、時間とはずばり事象の順序のことである」。

http://metaconscious.tumblr.com/post/4943065566/scientists-suggest-spacetime-has-no-time-dimension

興奮醒めてみて気付いたのだけど、この論文で現在の各種方程式が変わるわけではなさそう【正気に返ったおれカネゴン】。むしろ時間はそれを人間がどう認識するかということが問題だったりしないだろうか。
神は「ある」とか「ない」ではなく、「必要(=まだいない)」ということとも似て、時間も「ある」とか「ない」とかではなく、人間が何かを見るときにほいほいといくらでも見出してしまうものだったりしたらどうしよう。「鑑定団」で中島さんが古茶碗に職人の魂を見出してしまうように、あるかどうかもわからない時間を勝手に見出し、しかもどっち向きに流れているのかもわからないのに「時間は流れている」などと教えられて疑問にも思わないのは、古今東西人類だけの得意技だったりするのだろうか。
カネゴンは「繰り返しのないところに時間は見いだせない」と思っています。。