小松左京が亡くなったことをFacebookで知る。
暗黒に塗りつぶされていたカネゴンの十代最後の空白時代、小松左京を読めと強制されたことだけが思い出される【あの日あの時おれカネゴン】。
しかしカネゴンは今も昔も、人からこれが良いと天下り的に強く薦められると、自分の意志に反して身体がそれを拒否してしまう【歪んだ性格おれカネゴン】。そんなにいいものなら、先入観なしに自分で発見し、自分で出会いたかったのにと反射的に考えてしまう。案の定それ以来、先入観なしに小松左京のことを考えることができなくなってしまった。
冷静に考えれば、書評や推薦などに一切触れることなしに本屋の店頭で偶然いい本に出会う確率は物凄く低いので、今にして思えばまったく意味のないツッパリだった【今後もツッパるおれカネゴン】。
で当時のカネゴンの率直な感想は、アイディアはときどき物凄いのだけど、もしかするとこの人は文章があまり上手でないのではないかという身も蓋もないものだった。文章自体の魅力で勝負しているわけではないから別に問題はないのだけど、読書らしい読書などしていなかった当時のカネゴンがなぜにそのような厚かましい感想を持ったのか、未だに見当がつかない。