タレブは、このような脆弱性は近代の生み出したものだという。近代科学は自然をコントロールする方法を発見したが、社会はそういうメカニカルな方法では管理できない。社会現象は物理系のように一定の均衡に収斂するエルゴード性を満たしていないので、平均や分散は意味をもたないからだ。

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51840272.html

ここでこのエルゴード性という言葉を初めて知ったのだけど【ぐぐってわからぬおれカネゴン】、カネゴンの拙速な理解によれば、ここには極めて重大なことがさらっと書かれている気がしてならない。

エルゴード性を 簡単にまとめると
「時間」・「空間」において均質であるという特徴を持ちます。

http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/tkdlab/member/ohbuchi/labo/ergodic.htm

どうやらエルゴード性というのは、確率や統計において、部分を取り出したらそれが全体とまったく同じ統計的特徴を持つということを意味するらしい。そしてそうであってくれないと、母集団がスーパーサイズのときに統計の計算が恐ろしく面倒になってしまうらしい。
エルゴード性はそれがために、宇宙が終わって随分経った頃には必ず均衡に達するという性質を持つらしく、その頃には弥勒菩薩すら怒ってどこかに行ってしまうとおもわれる【待っておるのはおれカネゴン】。
カネゴンの推測では、これは形を変えたラプラスの悪魔の再来であり、そうあって欲しいという願望なのだと思う【あれがしだったらおれカネゴン】。
そしてまだカネゴンがひっそりと思っているだけなのだけど、このエルゴード性というのは「生命」と正反対の概念なのではなかろうか。カネゴンにとっては株式市場もネットワークもゲームも結晶化ウィルスもみな生命を持つものなのだけど、こうした対象はどれもエルゴード性が成り立ちそうにない。逆に言えば、エルゴード性を判断基準とすれば生命を容易に定義できたりしないだろうか。続く。