考えてみたら、お釈迦様や孔子様やジーザス様やムハンマド様やマザー・テレサ様やアマルティア・セン様はなぜ、「モテなさい」「好かれなさい」と指導しなかったのだろう。一見誰に向けても大丈夫そうで、すべて無難に丸く収まる教えのようなのだけど、そこには何か重大なセキュリティ・ホールがあるのかもしれない。あるいは「感動をもらう」とか「あってはならない」みたいな陳腐極まる表現に限りなく近いからかもしれない。それとも、好かれるということは実は重要でも何でもないからかもしれない。

ありがちなセキュリティ・ホールとしては、モテようと好かれようとするあまりダークサイドに陥るという少年ジャンプっぽい話。