本多勝一例の本で、文章における形式上の「紋切り型」を執拗に責めたてていたのが気になる。たった今も使ってしまったぐらいカネゴンは紋切り型の表現が大好きで、隙あらば使ってみたくて仕方がないほどだったりするのだけど、なぜそんなに紋切り型がいけないのかが逆にわからなくなってきた。新聞記事で変に独創性を発揮しなくても、競馬新聞や株式新聞みたいに事実とデータだけ掲載していれば、紋切り型どころかどんな余分な文学的表現も入る余地はないと思うのだけど、そういうことを言ってはいけなかったのだろうか【砲撃目標おれカネゴン】。

「日本語は世界で最も美しい」「いやそういう考え方は間違っている」というやりとりはサインカーブ並に周期性をもって勃発するけど、単に日本には日本語にうるさい人が多いというだけだったりしたらどうしよう。もしかするとヨーロッパみたいにいろんな言語が入り混じっているところでは、滑らかな翻訳とかそういうものをはなから諦めていて、そんなものよりテレパシーの方が欲しくて仕方なかったりして。

文書化された世界最古のプログラムは何だろう。プログラムを「段取り」と考えれば、古代における祭祀の次第だったりするのだろうか。世界初の条件分岐は「凶と出た場合は乙女をいけにえにする」だったらどうしよう【それが趣味とはおれカネゴン】。

カネゴン実は風忍の漫画を笑いながら読んだことが一度もない(小池一夫ならあります)。今でも激しく真剣に面白いと密かに思っていて、風忍がひどく真面目な性格であることにも共感を覚えるのだけど、検索するとほどんどのサイトでネタ以上の扱いを受けていないのが心苦しい。もしかするとカネゴンが間違っていたのでしょうか【皆はとっくにおれカネゴン】。

町山さんの電波喫茶思い出話。この日記でも以前引用させてもらったことがありました。電波系という言葉を使ったのは根本敬が先か渡辺和博が先かという議論があったけど、渡辺和博が使った言葉は「毒電波」だったはず(本人の考案かどうかは不明)。そのタイトルで1980年に漫画を描いていたので。根本敬のデビューは1981年

日本を次のように4つか5つに分け、成人したらどこに属するかを自分で決められるとする。ただし後からは所属を変えられないとする(自由に変えられるようにしてもいいけど)。

  • 厳格の州(上下関係さえ守れば他は問われない)
  • 誠実の州(誠実でありさえすれば能力は問われない)
  • 諧謔の州(すべてを茶化して暮らす。結果はすべて自己責任)
  • 強食の州(他人を喰っても喰われてもよい。能力主義もここへ)
  • 隠遁の州(互いに干渉しない。好きなだけ引きこもってよい)

そして100年ほど経過したらどこが栄え、どこが衰えるのか、ちょっと知りたい。