太宰治愛と美について」。文中で無限級数の定義にフランス式とドイツ式があるという記述がある【またも背伸びかおれカネゴン】。もうすっかり忘れたけど、カネゴンが大学で教わった和声にもこれまたフランス式とドイツ式があった(カネゴンがいたのは普通の大学です)。先生がフランス贔屓なので当然フランス式となったのだけど、困ったことにフランス式の教科書は日本になく、かなり前に絶版になっていた。日本の音大はすべからくドイツ式なのだそうで、すっかり片隅に追いやられていたらしい。もう時効だと思うので書いてしまうが、先生みずから教科書をごっそりコピーして生徒に配ってくれた。ありがたいことです。

和声は一見システマチックに完成されたもののように見えるので、理論的なものを愛する人が一度は惹きつけられるのだけど、実はそれ自体は創作の役に立たない。ただしアレンジにはこれほど有用なものもない。あくまで味付けで、素材(メロディ)がなければどうしようもない。日本語の文法を知っても詩が書けるとは限らないし、Javaの文法を学んでもコードが書けるとは限らないのと同じ。和声のコツを一言で言えば「曲の途中で違うことをするな」に尽きる。小説とか戯曲とかに例えると、登場人物が最初若者言葉で話しているのに途中でおじいさん言葉になったら誰でも変だと思うように、音楽でもそれまで3度ハモりで進んでいたのを曲の途中で急に5度ハモりが入ると、意外に目立つ。それを避ける方法を長々と書いてあるだけだったりする。目指すのは一貫性で、それを実装するために和声という手段を使っていた。

今時の音楽は和声という観点からは全然一貫していないけど、まったく違う要素で一貫性を持たせているので問題にはならない。この場合一貫性を持たせているものは主にテンポとか雰囲気だったりする【オチはどこずらおれカネゴン】。