購読している「NetScience」の抜粋(東大で昆虫分子生物学を研究している人):

■これは机上の空論かもしれないけど、芸術だとか音楽だとかは、共有できるわけですよ。プロと一般の人がね。でも、サイエンスはそれができない。一つは一般の人にも問題があって、あんまり勉強してないから良く分からないと。 そのレベルが上がれば共有できるんじゃないかなと思うんです。お金儲けのためだけじゃなくて、「楽しみ」の対象として、サイエンスを楽しみの対象にするというのは、サイエンティストにとっても、今後生き残る道じゃないかと思うんだけど。

○ええ。評論家の山形浩生http://cruel.org/jindex.html)らが言ってるところの教養ですね。彼は教養っていうのは役に立つ実用的なものなんだと著書の『新教養主 義宣言』(晶文社, http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4794964153/)のなかで言ってるんですね。色んなものを見たときに奥行きとか歴史とか、そういうものを感じ取れるのが教養なんだよと書いている。そういう視点を持ってもらいたいなと思います。

教養のことはよくわからないけど、特に前半は、以前から書こうと思いながらカネゴンでは説得力が出せなかった部分。現実には「ポピュラーサイエンス」(俗な科学)はプロの科学者の間では冷遇されがちだったりする。結城さんのような名文家がコンピュータの世界にいるのは本当にありがたいことで、こういう人が各種サイエンスにもいて欲しいとしみじみ思う【知らないだけではおれカネゴン】。数学における
遠山啓(ひらく)のような
名文が書ける人が。