カネゴンの中では中野貴雄小田島小田嶋隆と並ぶエッセイの達人リリー・フランキーの自伝的小説「東京タワー」を読む。小説を読まないと決めて久しいカネゴンにとっては何年かぶりかの小説。舞台がカネゴンにとってきわめて馴染みの深い場所で、小倉弁の響きも含めてなつかしさをかきたてられまくる。カネゴンは昔から、本を読んでいても映像がからっきし頭に浮かばないのだけど【極小バッファのおれカネゴン】、今回ばかりは既知の風物が怒涛のように喚起される。「天才・秀才・ばか」など、カネゴン世代にも覚えのあるものがいろいろ登場すると思ったら、リリーさんはカネゴンよりわずか三つ年上だった【不惑間近のおれカネゴン】。
本書では幾度となく九州弁の記号と化した「〜ばい」という表現が登場するのだけど、実はカネゴンの親戚の誰一人として使っているのを見たことがない。言語地図は想像以上に細かいのかもしれない。
今年半ばに忌引きで小倉に行ったとき、たまたまカネゴンが小倉弁に合わせたつもりで何かをしゃべったらカネゴン母が突然腹を抱えて笑い出した。NHK朝の連ドラで使用されるバーチャル大阪弁のごとく、カネゴンのにわか小倉弁があまりにインチキ臭かったせいらしい。うう。