前に書いたジョー・モレロ(JOE MORELLO)の名盤「It's about time」を思い出す【しばし休むはおれカネゴン】。ジョー・モレロ自身は、「Take 5」などで有名なデイヴ・ブルーベックのバックを務めていた名ドラマー。
前回も書いたのだけど【書かずにいられぬおれカネゴン】、このアルバムは通常のジャズのアルバムとはまったく異なるコンセプトで作られている。ありていに言えば「演奏とアレンジの教科書」として制作されたものだとのことなのだけど、何も言われずにこのアルバムを漫然と聴いたら、たとえジャズのプロであってもほぼ間違いなく「ああいい曲だね」で終わってしまうだろう。物理学者も数学者もエンジニアも、たぶんこのアルバムで何が起きているのかを検出することはおそらくできないと思うし、このアルバムの意図を正確に見抜くことができるのはJN師匠以外に考えられない。念のためカネゴン尋ねてみたのだけど、JN師匠は別にジョー・モレロと知り合いではないとのことで、カンニングしたわけではなさそう。
一度でも曲を作ってみた人ならわかると思うけど、いくつか曲を作ってみたはいいけどどれもこれも変わり映えのしない、同じような感じの曲ばかりになってしまって困ったりすることがある。阿部薫について書いたこととも通じるのだけど、プログレのように途中で曲調を出し抜けに変えたりしても、毎回それをやると全体として同じ印象になってしまうということが、やはりある。
「It's about time」は「時間」をテーマにしていると以前も書いたけど、もっと具体的に言えば「音楽の印象というものに最も強く影響を与える要素とは何か、それは時間(リズム)を操作することである」ということなのだろうとカネゴン推測している。ところで、具体的に時間を操作するというのはどういうことなのだろう。
ここからはカネゴンの推測:
ビートのある音楽を聞くとき、聞く人は知らず知らずのうちに、次にビートが来るのを予測して聴く(テンポを一定に保つのはそのためでもある)。次のビートが、人間の予測した時刻とぴったり合うと、人間は安心し、一種の快感を得る。逆に、予測した時刻をはぐらかしたタイミングでビートが聞こえると、人間は面くらい、驚く。これもまた快感の一種となる。

いずれにしろ、音楽の構造とは言いながら、構造計算とか力学とかとまったく違うものを基礎においていることは確か。それでいて美学みたいなどうにでも受け取れるようなものなどではなく、極めて明確で、論理も首尾一貫している。物理とも数学ともまったく違う、それでいて明快極まりない磐石な秩序体系がこの世にあることを知ったときカネゴンは思わず興奮してしまっていた。カネゴンもしかすると演奏そのものより、それを知ることの方が楽しくなってしまっていたかもしれない【それはいつものおれカネゴン】。

JN師匠がカネゴンたちに教えてきたこと、そして「It's about time」でさまざまな手法で例示されていることの一つは、上記のような「聞き手に予測を立てさせ、安心させておいて、それを裏切る」ことこそ音楽の構造を強く決定付けるものだと一方的に理解している【理解の怪しいおれカネゴン】。それを具体的にどう行うかという実践はカネゴンまったくだめですが。
師匠の教え方は独特で、決してその理論を抽象論として語ることはなく、常に具体的に「これこれこうやってみろ!」と方法のみを実践させる。これはたぶん、師匠が常に問題解決を最優先しているせいなのだと思う。目の前で起きている問題をどうやったら根本から一瞬で解決できるかということに集中し、師匠はおそるべき観相力で問題の根源をたちまちわしづかみにし、一気呵成に解決するということを長年やってきているのだけど、解決された側はいったい何が起こっているのかわからず目を白黒するしかなかった。上記の理屈っぽい話は、そうやって教わったときの合間に片鱗を窺えるのみだったりする。カネゴンたちは方法しか教わらないので、その場はできるようになるのだけど、翌日になると全部忘れてしまう。それを何度も繰り返しているうちに、ある日突然わかる日がくる。
残念ながら、このJN師匠の独特の理論を体系的に説明している本はたぶん世界中のどこにもない(実は師匠も若いときに本に書いたことがあるらしいのだけど、出版社にまったく理解されずお蔵入りしたらしい)。具体的なリズムパターンの分類だけならいくらでも本があるけど、音楽を構築するという観点からリズムと時間の本質を解き明かした本は見たことがない。これを最初に行う人がもしいたら、何だかわからないけどきっと何かのパイオニアになる。