モチーフ(動機/細片)が力強ければ、組み合わせがかなり適当でも全体として何かが成立すると考えてもいいのだろうか【横着したいおれカネゴン】。この間なつかしく思い出した電波ニュースも、挿入される一つ一つの言葉(確認できないけれど、手作りとしか思えない)が実に力強いために、元の文章をずたずたにしながらもなお、何かが強力に成立しているとカネゴン思ってしまう。
たぶん世の人は、そういうおいしくて力強いモチーフ自体を自動生成する装置こそが欲しいのだろうと思うのだけど、よくしたもので当分無理そうな感じ。もし万が一さまざまな分野でそういうものができるようになってしまったら、芸術家はこぞって単なる仕上げ担当という(実は妥当な)地位に落ち着くのだろうか。