にもかかわらず、ユークリッド原論(の出だし)はやはり詩として極めて優れているとカネゴン思う。「しょっぱなから問題がある」のは確からしいけど【検証せぬとはおれカネゴン】、言葉として非常に鮮烈で、しかもそこに含まれている問題というか矛盾が絶妙にブレンドされていて、おかげでこうして二千年経っても話題に事欠かない。
むしろ、優れた詩の条件は「鮮烈かつ絶妙な矛盾を含むこと」だとカネゴン言い切ってしまう【興奮するとはおれカネゴン】。
この逆の例として、よく整った近代的な法律は、まず優れた詩になりえないと思う。正確さを向上させ、あいまいさを追放し、間違いを含めないようにすればするほど、どういうわけか言葉としての魅力はそれに反比例して落ちてゆく。仮にユークリッドの原論が、最初から現代幾何学のようにピカピカに整備された完全武装済みの内容だったら、果たして読む人を一発で惹き込む事ができただろうか。そこからこんなふうに現代の幾何学にょきっと生えてきただろうか。
現代幾何学はどちらかというと、ツッコミを怖れるあまりよろいかぶとで隙間なくぴっちりと完全武装したような趣で、のびのび証明するなど最早かなわないというか、夏場は暑くてたまらなさそうというか。
当たり前なのだけど、最初から完成されていたらそこから何一つ発展しようがない。生命のようにどっさりわらわらと豊穣なものを醸し出すには、出発点は「完成された何か」ではなく「絶妙な矛盾」でないと困ってしまうような気がしないでもない【濁して終わるおれカネゴン】。