カネゴンアイには、水木しげる白川静は本質的に同じタイプの人間として映っているのだけど、前者は

精霊の存在は祭礼や踊りを通じて直接的に感知することができる。決して文字を通じてではない。

http://d.hatena.ne.jp/hachi/20001125#p3

と、後者とほぼ逆の結論を出していたりする【知ったところでおれカネゴン】。

とは言うものの、水木しげるのいう文字は、文字そのものではなくて文章とかセマンティクスとかそういうものを指しているのかもしれない。
さらに、白川静(または取り巻き)に言わせると、古代人の魂を感じるのは古代文字を書き写しているときなのだそうで、もしかすると古代の金文の一つ一つを、ちょうどダンスステップ図とみなし、その動きをペン先で再現することによって古代を実感していたのだとしたら、実は二人は同じ結論に達し、同じようなものを目撃していたということもありかもしれない【fartな理屈とおれカネゴン】。