昨日の続きなのだけど、性急な結論の好きなカネゴンはとりあえず「『無駄なもの』こそ生命の構造の本質」と考えることにする。
無駄なもの、言い換えれば余裕、余地、bandwidth、拡張性、それなくしては生命は一歩も立ち行かないのではないかと。DNAの97%だかは無駄な情報しかないというのもたぶんそういうことで、その無駄こそむしろ本体で、無駄でない部分はきっと無駄な部分のおまけにしか過ぎない。
メールの9割はスパムメールというのもきっとそうで、スパムメールの方が実は本質で、重大なメールはなるべく見ずに済ませたいものだったりしないだろうか【そうして暮らすおれカネゴン】。
古代のジョークで、SFの90%はクズだというのもあったような気がする。それもきっとクズの方が本質で、むしろ出来のいいものの方がどうかしていたりするのかもしれない【どうかしているおれカネゴン】。
本でも、インクの乗った部分よりインクのない白紙の部分の方が圧倒的に多いのだけど、本質がどちらに宿っているかといえば、カネゴンは白紙の方に軍配を上げたい。情報は確かにインクの方にあるのかもしれないけど、そのインクを乗せるに十分な広さの白紙があるということの方が重要。
とにかく「無駄のない生命」「捨てる部分のない生命」というのは語義矛盾であり、盲腸のように何でこれがここにあるのかわからないような部分こそが生命の構造の根幹であり、無駄を抱えてこそ生命たりえるとも言える。
生命そのものの本質は生殖と持続とかいろいろあるのだろうけどそっちはまた後で【三歩歩くとおれカネゴン】。