「男」と「女」という、肉体に囚われた非科学的な呼称をやめて、「男成分」と「女成分」という数値とその比で表わすようにしたら、世の争いの1/3ぐらいは解決しないだろうか。
男成分とは「自分が何を成し遂げるか」ということを重要視し、女成分とは「自分が他人からどう見えるか」ということを重要視する。
男成分にとって、自分が他人からどう見えるかということはまったくどうでもよいことであり、女成分にとって自分が何か業績を残すなどというのはまったくどうでもよいことだったりする。
どんな人にも男成分と女成分があり、しかも場面に応じてその比率が変わる。ピンチのとき、褒められたときなど、さまざまな場面における成分比を測定してその人固有の成分マトリックスを作成することで、その人の性格というものを遥かに精密に表現できたりしないだろうか。
それぞれの成分は負の値もありです。