易経は「世の森羅万象は、そのごく一部分(筮竹やサイコロなど)にも絶え間なく反映されている」つまり「部分を観測することで全体を推測できる」というものだとカネゴン理解しているのだけど、方法はともかく、その思想だけは統計と何ら変わりがないような気がしてくる【亀の甲羅でおれカネゴン】。
もしかすると、易経のテキストである三易のうち現代に伝わっていない「連山」と「帰蔵」には、その辺の統計学的方法論が満載だったりするのだろうか。かのアルキメデス写本のようにひょっこり見つかったりしないだろうか【そして眠るはおれカネゴン】。