ブリジッド・フォンテーヌの「ラジオのように」といえば、80年代に大量に発生した不思議少女の発生源としてつとに有名なのだけど【そこから湧いたおれカネゴン】、カネゴンこの年にして初めて聴いてみると意外に普通によかった。
このような作品は、ある意味聴く者に「お前も何かを表現しろ。ただし私と同じことをするな」と命令しているようなところがあって、無意識に下される部分否定形の命令としては最も強力な部類に入るかもしれない。このような部分否定の歪んだメッセージは現代アートが多かれ少なかれ発信していたりなんかする【電波受信のおれカネゴン】。
ということで、この作品をまんまカバーするというのはかなり勇気のいる行動だったりする。