しかし天国を設計するのであれば、地獄をも念入りに完成させないといけない【地獄の使者のおれカネゴン】。

人はその死に際し、基本的にまず意識が遠のく。実はこのとき、意識の動作速度が最初は1から始まって1/2.1/4,1/8...と無限等比級数に従ってぐんぐん低下するとしたらどうなるか。
収束する数列なら何でもいいのだけど、今のリンク先によると1 + 1/2 + 1/4 + 1/8 + 1/16 ... = 2と収束するので【計算しとらぬおれカネゴン】、たとえばこの時間の単位が秒なら、周りで看取る人たちにとってはたった2秒である時間が、死に行く当人にとっては無限の時間となる。
そして、死に際して人生に満足できた人にとっては、この無限に続く時の間その幸せをたっぷり回想し味わいつくすことができる【走馬の灯とおれカネゴン】。逆に、死に際して後悔や怒りや悲しみや怨念や罪の意識を振り捨てることができなかった人にとっては、その後悔や怒りや悲しみや怨念や罪の意識が無限の時間継続することになる。死刑であればその苦しみは無限に継続する【刑と罰ならおれカネゴン】。
これがカネゴンの定義する天国と地獄です。数千年持つように設計しました。
追伸:数列を修正。危うくシステムが崩壊するところでした。

補題:

  • 「悪いことをしたら地獄へ行く」が脅しでなくなる。
  • 「良いことをしたら天国へ行く」が空論でなくなる。
  • 「死んだらそれでおしまい」が通用しなくなる。
  • 人生は現在までの人生を延長した無限時間続くことになり、無為で誰の役にも立っていない今の人生を俄然見直したくてたまらなくなる。
  • 実装に依存しないよう共有ライブラリ化してあるので、既存のほぼすべての信仰に無理なく組み込める。
  • ドーキンスのような強力な無神論者も無理なく天国に招待できる【キャッチセールスおれカネゴン】。
  • ファイナルジャッジと見なすもよし。
  • 若くして死んでも、命が短くても、よい人生だったなら彼or彼女は天国を味わう。
  • 水子のことで女性が無用に苦しまずに済む。
  • 長年の介護が必要なほど長生きすると、せっかくの無限の時間に介護の記憶ばかり味わうことになるので、長生きが流行らなくなり、いかにして人生の一番いい時に死ぬるかを頭のよい人たちが全力で考えるようになる。その結果、高齢化社会の問題がきれいさっぱり解決する。
  • 宝くじが当たったショックで死ぬというのは一見いい方に入りそうだけど、記憶としては薄っぺら過ぎ、残りの無限の人生がかなりつまらないものになる。

偶然と必然を混同する勘違いもよくあります。たとえば交通事故のほとんどは偶然に起こるものですが、運転者の心がけに問題があったのだろうとつい思ってしまうことがあるので注意が必要です。

http://wiredvision.jp/blog/masui/200707/200707270224.php

予想どおり「懲戒免職は当然だ」という反発の声が多いが、果たして厳罰化で事故は減らせるのか。この記事でも書いたように、飲酒運転は交通事故の1.6%でしかない。大部分の事故は、意図的な危険運転が原因ではなく、偶然が重なって確率的に起こるのである。事故件数は車の総走行距離に比例するので、根本的な交通事故対策は、大量輸送手段を整備して車を減らすことなのだ。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/3da23ce284d794319c280acbc4ab73c0

(前略)今回の事故は、たまたま「泥酔運転で結果が重大」「加害者が公務員」などの要因から大きく取上げられている。しかし交通事故は、一部の悪質なドライバーが起こすのではなく、大部分は「確率的」に起こるのである。自動車同士の事故では、一瞬の偶然によって加害者と被害者が逆転したり、結果が重大になることも珍しくない。
図(*2)に示すように、自動車の走行kmに対する事故率はほとんど一定、つまり自動車の走行kmに比例して事故が起きる。

被害者も加害者も出さないためには、便利で安価な公共交通機関を全国的に整備したり、自転車の走行環境を整えるなどの方法によって、自動車に依存しない交通体系を作る以外には有効な対策はないのである。

http://www.janjan.jp/living/0608/0608290275/1.php