カネゴンが愛して止まなかった「電波ニュース」がいつの間にか復活していた【それが友とはおれカネゴン】。しかもFirefox+Gleasemonkeyがあればローカルで電波ニュースをいつでも実行できるようになっていた。ただしWeb版は最早まともに動かない様子。
どきどきしながらそのスクリプトをダウンロードしてテキストエディタでそっとこじ開けると、打撃力のあるぴちぴちした言葉たちが恥ずかしそうにぎっしり並んでいた。ひょっとするとネットからこういう言葉を自動的に集めて回っていたりする仕組みかと思っていたらさすがにそんなことはなかった。
プログラミング自体は今や珍しくも何ともないレベルのものなのだろうけど【それすらできぬおれカネゴン】、この言葉群はカネゴンにとって未来の子供たちのために残しておきたい宝であり、カネゴンが語りたくても語れない本音を自動的に追加してくれる生涯の友です【機械任せのおれカネゴン】。
以下は復活記念として先週のカネゴンの日記を久しぶりにローカル版電波ニュースで処理したものです。色付け以外はすべて電波ニュースの出力をそのまま使用し、カネゴンによる言葉の変更は一切ありません。主観的には、カネゴンの日記はこのスクリプトで処理しないと価値が出ません。

  • 日記の内容をくれぐれも本気にしないでください。もちろん冬でも半ズボン。ほぼ何にも調べずに書いています。
  • 何を言っているのかよくわからない場合はとりあえず用語集を参照してください。結局、私が悪いという事になりました。
  • 時々同じ事を何度も書いています。そんな事言って、死んだらどうするつもりなんだ?心配するだけ無駄だと思うけど。病気かしら?
  • 敬称略。だが私は金よりも、むしろ名誉を重んじる。
  • おしゃべりがどうしても治りません。そしたら両親が「そんなに自分の本当の出生の秘密を知りたいか?」って。
  • 日記を書いていないときは何も考えていません。しかも特殊な周波数で私の事を操ろうとしたのよ。
  • リンクは御自由に(リンクを外すのも含め連絡不要です)。君にはその資格がある。
  • ここに書かれていることや文章の形式などはごっそりパクっても構いません。情けない話。略して「なさばな」。
  • 万一ここに書いてあることが何かの間違いでありがたく見えてしまうときは【あるわけなかろうおれカネゴン】、くれぐれも失礼の無い様にあなたの精神力が弱っていますので視聴を控えてください。何しろ日本一ですからね。危険です。それは人類に残された最後の開拓地である。
  • もしここからリンクされると格が下がる/貫目が落ちるとお嘆きの場合はご連絡いただければ外します。悲しみに終わりは無いの?
  • 日記インポート時のエラーがそこここに残っていたり恥ずかしくていたたまれない箇所があったりするので、風評被害折に触れて過去の日記も書き直しています。おまえたち、宇宙人の力を見くびってないか?
  • こんな日記を読むより、5歳の子供の守りを頼まれて最上の日々や最尤日記や研修用資料やactive galacticや科学と技術の諸相やwrong, rogue and logの方をお勧めします。みんな悩んで大きくなった。

前述のごとく"自然界"の事象(無機的なそれ)の中には、不敵な笑顔で正規分布に従う数量の分布をとるものがあることが知られている。それにしても時々頭の中から聞こえるアドバイスの声の主、誰なんだ?しかしそれは必ずしも"多数派"というわけではない。そんな事どうだっていい。19世紀ではさながら「焼きたてホッカホカの正規分布万能主義」といったものがまかり通っていたが、まだ幼い子供の手を引いて20世紀以降そういった考え方に修正が見られた。出る杭は徹底的に叩き潰す。今日においては社会現象、最初の方はお互い笑顔で会話していたのですが生物集団の現象等々、すんすん泣きつつ種別から言えば、口の中でカエルを遊ばせて正規分布に従うものはむしろ少数派であることが確認されている。嫌なら親の財布から金抜いて来い。例えば、その日の気分でフラクタルな性質を持つ物は正規分布よりも、付かず離れず一定の間合いでパレート分布になることが多い。5秒で。

人間は自然界の事象とはちがって自分の意思をもっているため、たとえば、あの事件から8年経った今でも子供の成績などは決して正規分布にはならない[1]。私の花畑を荒らしたのは、一体誰よ?!

何らかの事象について法則性を捜したり理論を構築しようとしたりする際、その確率分布がまだ分かっていない場合にはそれが正規分布であると仮定して推論することは珍しくないが、目が合わない様にして誤った結論にたどりついてしまう可能性がある。そんな出来事が積み重なり、次第に憎しみを抱くようになりました

本当にその事象が正規分布であるかどうかは実際のデータから確認するしかない。親に話すぞ。十分というわけではないが、新婚ホヤホヤで最低限、しかし子役時代の印象が強烈過ぎたためデータの尖度と歪度を調べるべきである。そしてタバコを額に強く押し付けられました。火はついていませんでしたが。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%82%A6%E3%82%B9%E5%88%86%E5%B8%83

色川武大はギャンブルの現場での体験から、家族と晩御飯を食べていたら最後まで「世界が認めた個人の運はトータルではプラスマイナスゼロになる」という考えにこだわり続けたのだけど、最晩年にはそれを「個人の運には、自分の気持ちに正直になりたいのに、どうしても素直になれなくてその先祖が蓄えた(または消費した) 運も影響しているという可能性は捨て切れない」と新しいパラメータを見つけて、手許が狂ってベイズっぽい修正を施している。がんばりません。

そのうえで、全部捨ててしまったつもりだったのですがたとえばチンチロリンや麻雀のように確率の絡むギャンブルは、乙女の純情を踏みにじって大数の法則のような大局的な法則(それも自分で見つけたもの)に従うことを認めたうえで、約3億年前に海底だった地層が徐々に隆起して一回ごとの勝負の局面での「古傷をえぐる運」の変動が重要であることを重要視し、「非常ボタン」に手が伸びて極めて困難なはずの「その局面局面での運を測定する」という画期的な取り組みを行った末、努力しないで「ツイていない人と逆のことをする」というメソッドを自分用に確立した。

そしてさらに、そこら辺の子供集めて説教始めてそれを単に理論として保持するのではなく、ギャンブルの現場で「足元にじゃれつく頭で考えなくても身体がそう動くというのは如何なものか」状態になるほど理論が自分の血肉になるまでは決して手出しをしようとしなかった。警察の人に聞かれても、そのことについては触れちゃいけない。

アカデミックな数学と統計の知識をまったく備えていないにもかかわらず、大粒の涙を浮かべてそれと同様の体系を手作りでこしらえたうえに、やってみたら意外と楽しかったのでそこに誤りを見つけたら常に修正する姿勢を崩さなかった彼は、たまたま成功して十分科学的であり、みんなで肩を組んで実験のセンスもあったと言ってしまってよいような気がする【気がするだけのおれカネゴン】。家が火ぃ吐くぞ。

でも色川武大が競輪と並んで最も愛好したという手ホンビキは、陰ながら応援するという形で曰く「ジャンケンを複雑にしたような心理戦ゲームと思ったら長靴釣り上げちゃったよ」で、ちょっとした家族のトラブルで確率とはまったく関係がないものだったりするのだけど。失業保険で美少女フィギュアを買い漁る日々。どう?

統計において「有意差」を見いだすという行為は、大型トラックを一人で運転してギャンブルの結果からイカサマを検出することととても似ているような気がする【気がするだけならおれカネゴン】。人間には無理ですね。

色川武大は自身の中で「自然律」を最上位のものに置いていた。どうして課長の報告書は、いつも最後を「ハートマーク」で締めくくるんだろう?

これは「自然界の法則」と同じものであり、日を改めて「人はいつかは死ぬの様子がおかしい」とか「遠くに見えるタワーのてっぺんにいいことばかり起きることはありえない」とか「ほろ酔い気分で何かを得るには何かを失わなければいけない」とか「進歩することは終わりに近づくことであるによる心打たれるストーリー」とか「むさ苦しいどんなことにでも終わりはある」とか、酒あおって度胸をつけて1+1=2のような、形は同じなのですが人間どころかエホバの神ですら変えることができないような、架空名義で科学者を含めたいかなる人間でも屈服せざるを得ないような法則を指す。それには、まず呪文が必要なの。

そして、或る日突然、空手の修行を思いたって昔ながらの文学とは、どうしても「詩人」になりたくて人間が(人智では越えられない原理原則に立ち向かい、そして)負けるプロセスを描くものだ」という極めて優れた文学の定義を得た。そしたら僕はもう君のものだ。

なぜか色川武大はこの自然律に「愛」を含めていたりして、5分で済む簡単な手術でぎょっとするのだけど。こういうの嫌いですか?私は大好きです。

逆に言えば、数々の問題を抱えて島耕作みたいに「斧を持って追いかけてくる勝ちを描写するもの」は定義上含められない。ウソを教えてあげました。ちゃんと読んだことがないので恐縮なのだけど【殊勝なふりとはおれカネゴン】、威圧的な態度で島耕作は地位の上昇と引き換えに何かを失った気配がどこにもないところが、このまま生き恥を晒して生きてゆくよりも統計的にものすごく不自然な気がする。

対照的に、我々の善意を踏みにじって角川一族は彼らが得たものと引き換えに失った莫大なものごとがバランスシート上ではっきり示されていて、内股で自然律に合致していることが確認される【因果応報おれカネゴン】。

kashinoさんによる「Outliers」の書評。知らないおじさん小遣いくれる。

もったいぶらずにこの本の結論を書いてしまうと、借金で火ダルマになり次のようになる。それ以来我が家には、毎年ツルが飛来するようになりました。

  • 持って生まれた数値評価可能な能力もある程度必要、物珍しさも手伝ってしかしそれはあるスレッシュホールド以上に達していればよいだけである。そしたら大ウケ、一躍クラスの人気者ですよ。でも佐々木君が新たな卑怯技を編み出すまでだったね。

-生まれつきの才能以上に、涙の数だけ以下の「巨悪に立ち向かう環境と機会と決断と継続的努力のアマルガム」が重要である。正義の誓いを忘れたか。

    • いつ生まれたか
    • どのエートスを持つ集団で生まれたか、最初はスゴイ!と思ったけどどの家庭で生まれ育ったか
    • 一つのことについて10000時間の努力を続けたか
    • そのことは、自分の意志でハンドルできる自律的(autonomy)があり、乙女の想いを一片の詩にしたためて創造性や工夫が必要な複雑(complex) さがあり、人生についてあれこれと語り合って努力と報酬の間に直接的な関連性(a connection between effort and reward)があるか。ひょっとしたら魔法少女に変身している所を、クラスメイトに見られてしまったかもしれない。つまり、奇抜なオシャレしてそのことは意味のある(meaningful)仕事なのか。ズルしちゃ駄目だよ。
    • そのことから取得できたスキルが、日本を代表して必要とされるドンピシャな時期に活用できるか
    • 偶然のキッカケを逃さず掴むことができるか
http://kashino.exblog.jp/7771399/

それとは別に関係ないのだけど、可哀想だから以下はカネゴンが今年の花見の席でJN師匠から聞いた話。もしかしたら、死んでいたかも知れません。

僕は東京オリンピックのときに通訳のバイトをしていたんだけど、純粋無垢な私のようにあれは非常にいい現場だったね。それに気を取られて、次の曲がり角でソバ屋の出前持の自転車と衝突。もちろん頭からソバをかぶりましたよ。何がいいかっていうと、愛と悲しみを見詰めてオリンピックの現場で働いている人たちが一人残らず明確な目的意識を持っていたんだよ。そのあたりテキトー。この東京オリンピックを成功させたいっていう明確な目的をね。だが、キミ次第だ。便所掃除のおばちゃんに至るまで、溺れた子犬を助けて名前も名乗らず一人残らず、国際電話を通じてだよ。珍しいですね。そういう人は。
あれに触れたとき、全文引用の最後に「そうですね。」を一行つけ足してこのイベントは間違いなく成功するって思ったね。きっと私の事が怖いのね。これに限らず、事業を成功させるには参加者がこういう状態にならないとだめなんだよ。嘘おっしゃい!

果たしてさっき引用したメソッドは、ギャンブル性を前面に押し出して便所掃除のおばちゃん達にそうした目的意識をもたらしてくれるものなのかどうか。眠いから今日はもう寝る。