「子どものための論理学」みたいなものを義務教育で教えるわけにはいかないのだろうか【それがお似合いおれカネゴン】。
論理学は身につけるのに時間がかかるので、小学校低学年からこつこつと丁寧に教え続ける必要があるとカネゴン思っています【身を以て示すおれカネゴン】。理想の国語教科書の目次に「基本論理学」と書いたのはそういう意図だったりする。

論理を子どもに教えるうえで重要な点:

  • 論理の一貫性は、あくまで文章の中だけの話であり、その結論が現実と合うかどうかはまったく別の問題であることを理解させる。
  • 論理を一貫させるとは、「最初が正しく、途中が正しければ、結論も正しい」「最初が間違っていて、途中が正しければ、結論も間違いになる」という結果が出るように論理を整備するということであることを理解させる。

とにかくこのようにして、子どもたちに切れ味のビンビンに鋭い論理を一人残らず身につけさせることができれば、今のお笑いが一発で消し飛ぶほどのウルトラハイパーな「空高く積み上げられた論理へのひざかっくんによるお笑い」という新ジャンルが必ずや構築されて未来への重要な遺産となると共に、いい加減な言葉で子どもたちを丸め込もうとする大人どもを完膚無きまでに討ち滅ぼすことができる日が来るのではないかと【そんなリベンジおれカネゴン】。大人が子どもに論理学を教えようとしないとすれば、それを心の底から恐れているとしか思えないのだけど、もしかして書いたらまずかっただろうか【中年テリブルおれカネゴン】。
ついでながら、そうやって初めて、これまでおびただしく生産されてきた筋のむちゃくちゃな各種小説や漫画などを単なる娯楽として心から楽しめるようになるのではないかと。

タルムード名言集

  • 現実的であれ
  • 理想を信じる
http://bodywise.hp.infoseek.co.jp/hhpp/talmudo.htm

この二つは一見矛盾しているように見えてしまうのだけど、子どもたちは身につけた論理能力を残らず発揮して、この二つを論理的に統合し、おのれの身体と淡蒼球に刻み込まなければならない。
大人どもはついつい、単に現実的でさえあればOKというように楽な方へと考えがちで、もともと鍛えられていない論理能力をさらに錆び付かせまくっているのだけど、たとえ現実にぴったりと寄り添わなければ生きていけない境遇にあったとしても、その背後で常にひっそりと理想を信じていなければ、現実の生き方はいくらでも堕落してしまう。そういうわけで、カネゴンにとってこの二つは一ミリたりとも矛盾していません。

微積分とは何なのかをなるべく短い言葉で説明しようとして10年が経過しようとしているのだけど【自分に説明おれカネゴン】、微分を「特殊割り算」、積分を「特殊掛け算」と説明するのが一番だったりしないだろうか。
微分は「関数を変数で割って別の関数(=関数の変化を表す関数)を求める」、積分は「関数に変数を掛けて別の関数(=関数の累積を表す関数)を求める」と考えて、カネゴンはやっと納得がいきました。

追記: 前野先生にも解説いただきました。びっくりしながらありがとうございます。
微分が割り算的でもあり引き算的でもあるということから、一筋縄ではいかないことだけはとにかくわかりました【さっぱり進まぬおれカネゴン】。

接線の傾き」は微積分に進む前の基礎として重要だと思うのだけど、なぜかあまりちゃんと説明されていないような気がする【見送り三振おれカネゴン】。
数直線は、整数と有理数無理数をすべて含んだ「実数」を表すものとして説明されるのだけど、接線の傾きも数直線とまったく同じに実数をくまなく表しているということを最初に説明してカネゴンを安心させて欲しかった【ずっと不安なおれカネゴン】。無限について話をするのはそれが終わってからがいいと思う。
それはそうと、有理数が実は隙間だらけであるということをこんなふうに考えることはできるだろうか。何となく前にも同じことを書いたような気がしないでもないのだけど。
一辺の長さが無限大の、巨大なジャングルジムみたいなものを考える。ジャングルジムの一本一本は恐ろしく細くできていて、横から見た棒の位置が整数を表しているとする。そのジャングルジムによっこらせと入り込み、グラフで言うと(0,0)の原点に当たるところの棒を一本外し、(0,0)の原点きっかりの位置に眼を置いてそこから第一象限の方向を見てみたとする。無限のジャングルジムに仮に明るい外側があるとすると、第一象限の方向はどこを見ても光がくまなく棒に遮られて暗いか、それとも棒の隙間から外の光がいくらでも差し込んできて明るいか。(無限大のジャングルなのにその外があるのかとか、棒がいくら細いとはいえ太さがあるのはいかがなものかとか、ツッコミどころは多々あるのは承知で。)
カネゴン思うに、第一象限の方向は見事に明るいのではないかと思う。横から見た棒の位置が整数なので、原点から見ると、それらの棒の位置は(整数÷整数)となり、あらゆる有理数を表しているはず。有理数を表す棒で第一象限の向こうから来る光をほぼまったく遮れないということから、有理数が隙間だらけであることを(文字通り)違う角度から実感できるのではないかと【トリビア止まりのおれカネゴン】。