ああついに偉そうなことを書いてしまう。カネゴンは「名曲には、どこか一箇所必ずダサい(でなかったらキワモノの)部分がある」と信じている。舌触りのよいだけの音楽は、どれほど手間暇かけて完成度を高めても面白みに欠けるように思えてしまう。理論に乗っとって曲を作るときに最も落し穴になるのがこれだと思う。引っかかりが必要なのだ。アカデミックな音楽理論を完璧に備えたミッシェル・ルグランやクインシー・ジョーンズはさすがにそこを心得ていて、必ず巧妙にダサい部分を取り入れている。ミッシェル・ルグランは時々それが過剰になってそこがまた良かったりする。ポール・マッカートニーはそれを無自覚に実践している。ミック・ジャガーは頭がいいからきっとそういうことを意識していると思う。そのダサい部分が、お汁粉に入れた塩のように甘味を引き立てるが、それだけに塩加減が難しい。それが出来るのが名作曲家なのだと思う。バート・バカラックは音楽の作り方がまったく異なり、くさやの干物に最高級のジャムをつけたみたいなところがやみつきになる。(そりゃ黄金比が理解できないわけだおれカネゴン)。