たとえばplaggerをインストールする場合、plaggerがよいものであるかどうかを検討してから導入しているのではなく、実はplaggerがよいと(根拠もなしに)まず確信して、それから導入を詳細に検討する、というのが実際の意思決定プロセスだったりするのではないかと。
ここで未知のものに対して良し悪しを確信させる「何か」なのだけど、これはおそらく、TVに映るタレントをぼんやり眺めていて「あ、この人は今をピークに売れなくなるだろうな」とカネゴンたちにわけもなく確信させる(しかも不思議なことにその確信を同時に多くの人が持ち、その予感が実現されてしまう)それときっと同じものだと思う。
中野監督が言うところの「芸人の運命を品定めする、桟敷席の客たちが弁当を食べている箸の先っちょ」は、まるで磁力線に沿って並ぶ砂鉄のように、薄気味悪いほど向きが揃っているはず。それを古人は、気まぐれな芸能の神である「弁天様」になぞらえたのかもしれないと考えてみたくなってしまうカネゴンでした【定めてもらえぬおれカネゴン】。