ここでひとつヒントになりうるのは「同一性」ではないだろうか。
(覚醒剤とアルコールとギャンブルの場合は、彼らにとっては「それ」でありさえすれば内容や品質はまったく問われないので除外する方がよさそう)
たとえば、女を千人囲っていても【いつかそのうちおれカネゴン】、それらが皆同一の遺伝子を共有するクローン人間だったら、囲う側にとっては一人の場合と何の違いもなくなってしまう【ご飯も千杯おれカネゴン】。
限界効用でよくたとえに出される「砂漠での一杯の水は、ダイヤモンドにも等しい価値を持つ」も、普段の水と砂漠の水は(たとえ物質的には同じであっても)コンテキストが同じではないと考えれば筋が通る。もっと言えば、あのとき飲んだ水と砂漠で今目の前に出された水は、同じ水分子であるとは限らなかったりしないだろうか。分子や原子には個性がないというのが常識のはずなのでちょっと苦しいのだけど。
ギタリストにとっても、それらのギターがみな違うギターだからこそ欲しくなるのかも知れない。たとえ千本のギターを所有していても、それらがことごとく量産ザクのごとき無個性で同一の品だったら、所有のうれしさは一本の場合とまったく変わりないと断言いたす。つまり、品によっては逓減どころか一本の増加でいきなり効用の増加がゼロになってしまうと考えてしまってよいだろうか。
なお、なぜかピアニストやトランペッターなどの他の楽器では、狂ったように楽器を集めまくる人は少ない。ピアノの場合でかすぎて千台どころか10台集めるのも困難なせいなのかとも思うのだけど、トランペットをコレクションしまくるトランペッターをカネゴン今のところ知らない。
知らない分野のものはすべて同じ物に見えてしまうことから、同一性は人の心の中にしかないとカネゴン考えることにします。