サザエさん」を読むたびに、吹き出しの中にあるセリフの単語が、漢字ではなく、カタカナで書かれる割合が非常に多いことが気になる。カタカナで書かれたばかりに、その言葉を漢字でどう書くのか何十年もわからずじまいだったことも一度や二度ではない【ボキャブラ源泉おれカネゴン】。カネゴンとしては漢字で書ける部分はなるべく書いて欲しい方だったりする。
原作者は、ある単語を漢字で書くかカタカナで書くかというルールまたはスタイルガイドを定めていたのだろうか。漢字で書くと画数が多くなりすぎて印刷でつぶれることを恐れたのだと推測できないこともないのだけど、画数が多くても漢字が使用されていることがあり、未だルールの推測が難しい。
ついでながら、古本屋でサザエさんうちあけ話を見かけて読み返すと、エッセイとして超一級のできばえであることに今頃気付く。リリー・フランキーの「東京タワー」の源泉がここにあるとカネゴン一方的に予言することにする【後から予言のおれカネゴン】。たぶん、サザエさんそのものよりずっと面白い。

ユークリッド幾何学を考える」という本を書店で見かけて衝動買い。
まだ半分ぐらいしか読んでいないのだけど、幾何の今昔に暗いカネゴンにとって驚天動地の連続ともいうべき内容【上を下へのおれカネゴン】。幾何学というと、昨今は解析系数学や集合論とかに押されまくって冷や飯を食わされているのかと思いきや、全然そうではなかった。誤植が多いのが残念。
それとまったく関係ないというか、この本のどこにも書いていないけど、ユークリッドの原論の出だしは、コーランに勝るとも劣らないほど詩として超一級品であることにカネゴン突然気付く【よそ見止まらぬおれカネゴン】。

  • 点とは部分のないものである。
  • 線とは幅のない長さである。
  • 線の端は点である。

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同書をカネゴン的にかいつまむと以下のような感じ【横領するとはおれカネゴン】。

  • 現代の目から見ると、ユークリッド原論の証明にはギャップや欠陥がいっぱい混じっている。
  • 超有名な出だしの「点とは部分のないものである」すら、現代幾何学から見ると重大な問題がある。
    • 現代幾何学では、「点」とか「直線」の定義はすっぱりあきらめ、これらを何と「無定義用語」として扱っている。その理由は、幾何学体系の中の要素だけを使って基本的な用語を定義しようとすると、間違いなく同義反復(トートロジー)になってしまうため。
  • 現代の幾何学では、ベースとなる「幾何学体系」と、それを具現化した「モデル」という二本立てで体系を作る。憲法と法律というか、クラスとインスタンスというか、脚本と実際の舞台の関係というか。
    • 二本立てとした理由は、ユークリッド幾何学は視覚に頼りすぎている上、ここで言う幾何学体系とモデルがごっちゃになっていて何かとつまづきの元になるかららしい。
    • 点とか直線は、ベースの幾何学体系では無定義だけど、モデルの方では定義できるし、していい。
    • モデルは無数にあるし、好きなように作ればいい。モデルが変われば点や直線の定義も変わる。
    • ユークリッド幾何学は、この方法論ではモデルの一つに過ぎない(それでもモデルにするには随分改造が必要らしい)。

にもかかわらず、ユークリッド原論(の出だし)はやはり詩として極めて優れているとカネゴン思う。「しょっぱなから問題がある」のは確からしいけど【検証せぬとはおれカネゴン】、言葉として非常に鮮烈で、しかもそこに含まれている問題というか矛盾が絶妙にブレンドされていて、おかげでこうして二千年経っても話題に事欠かない。
むしろ、優れた詩の条件は「鮮烈かつ絶妙な矛盾を含むこと」だとカネゴン言い切ってしまう【興奮するとはおれカネゴン】。
この逆の例として、よく整った近代的な法律は、まず優れた詩になりえないと思う。正確さを向上させ、あいまいさを追放し、間違いを含めないようにすればするほど、どういうわけか言葉としての魅力はそれに反比例して落ちてゆく。仮にユークリッドの原論が、最初から現代幾何学のようにピカピカに整備された完全武装済みの内容だったら、果たして読む人を一発で惹き込む事ができただろうか。そこからこんなふうに現代の幾何学にょきっと生えてきただろうか。
現代幾何学はどちらかというと、ツッコミを怖れるあまりよろいかぶとで隙間なくぴっちりと完全武装したような趣で、のびのび証明するなど最早かなわないというか、夏場は暑くてたまらなさそうというか。
当たり前なのだけど、最初から完成されていたらそこから何一つ発展しようがない。生命のようにどっさりわらわらと豊穣なものを醸し出すには、出発点は「完成された何か」ではなく「絶妙な矛盾」でないと困ってしまうような気がしないでもない【濁して終わるおれカネゴン】。

mixiで小耳にはさんだところによると、numerical recipes in Cという数値解析の本は、掲載されているソースコードがかなり怪しい(FORTRAN機械的C言語に置き換えたらしい)という問題を抱えているために激烈な批判を受けているにもかかわらず、他に類のない非常に優れた内容の書籍として、多くの(数値解析を専門としない)研究者から支持されているらしい。こういう本が二千年後にも残る可能性が高そうな予感【何か言うたかおれカネゴン】。